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言語化って眼鏡みたい 自分の人生を自分が生きるためには自分で人生の舵を取ろう

 

言語化って

 

眼鏡みたいだなとふと思う

 

 

 

 

輪郭が掴めず

 

何となくしか見えない

 

霞んでしまっている世界を

 

 

眼鏡をかけることでピントを合わせ、

 

それらをはっきりとしたカタチとして

 

見せてくれる

 

霞んだ世界をクリアにしてくれる。

 

 

 

 

自分の心

 

自分の気持ち

 

その中の

 

 

 

輪郭が掴めず

 

何となくしか見えない

 

霞んだ世界を

 

 

眼鏡をかけた時のように

 

クリアにするには

 

 

言語化

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の気持ちが分からない

 

モヤモヤする

 

イライラする

 

 

これらを

 

解消していくには

 

自分とよく対話をし

 

一つ一つの事を

 

言語化

 

地道にクリアにしていくしかない

 

 

 

この言語化のスタートは

 

家族での何気ない会話の積み重ね

 

自分の気持ちを素直に出せる場所

 

自分の気持ちを

 

そのまま受け止めてくれる場所

 

家族の場が

 

そんな場であったら

 

言語化の基礎は自然に作られ

 

後はある程度の年齢になった時

 

自分で一つ一つ積み上げ

 

自分、を確立していく

 

 

ただ これは理想

 

そうでなかった時

 

もうダメだ、無理だ、できない

 

なんて事はない

 

 

自分が自分と向き合ってあげればいい

 

 

自分から逃げず

 

曖昧な自分の気持ちを放置せず

 

自分が自分の気持ちと、真剣に向き合う

 

一つ一つ対話をする

 

 

ただ これも理想

 

 

そんな時は

 

誰かの力を借りることも出来る

 

自分が本当にそれを望んでいれば、

 

言語化への道に繋がって行く

 

自分の気持ちをクリアにするには

 

自分自身と

 

とことん向き合う時がなければ

 

出来るよう

見えるよう

 

にはならない

 

 

自分を自分として

 

捉えることができない

 

 

 

 

自分の人生

 

自分で舵を取らなければ

 

霞んだ世界で生き

 

その事実にさえ、気づかず

 

それが当たり前と思い

 

生きることになるかもしれない

 

 

 

 

言語化しないということは

 

見えている世界が霞んでいる

 

見えている世界が見えていない

 

と言う事実に気づけないかもしれない

 

 

 

 

自分の人生を

 

 

自分で舵を取ると

 

 

見える世界が変わりだす